2011年01月25日

村社会2.0

むさぼるように授業を聞いた。最高だった。脳、身体の奥まで温まった。
KEIO UNIVERSITY SFCに感謝。「世界って素晴らしい」。

http://gc.sfc.keio.ac.jp/cgi/class/class_top.cgi?2010_33905

去年「車窓に豚」というプロジェクトを一人で立ち上げようとして、こけた。
顔面から壁に突っ込んだ。僕は、倒れて、腐った。

今度は「村社会2.0」でいく。
まずはコンセプトを叩き上げる。

「村社会2.0」のネーミングが気に入っている。
Leaderが引っ張るよりも、平均点を上げる方が日本人に合っているはず。
平均値を上げるだけでなく、優秀なLeaderも育み、村社会全体もより豊かなになるように。

生命は、まだブラックボックスである。生命は未開の地である。
穀物や野菜などの植物という生命、土にいる微生物という生命、人間、ニワトリ、牛を含む動物という生命。
生命というフロンティアの最前線と、生活をリンクさせること。
子供が最前線で学習でき、高齢になっても穏やかな時間に身を任せられるように。

田んぼや畑には、機械とそれを動かすエネルギーが必要であり、
全体をマネージメントし、調和すること重要だ。

新しい風景と社会、「村社会2.0」。
posted by Satoshi at 20:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月22日

日本語と英語

茂木健一郎氏の英文ブログ

http://qualiajournal.blogspot.com/2011/01/we-need-sunshine-not-bomb-qi-incident.html

を日本語にしました(してみましたw)。茂木さんのツイートをみて触発されたので、ツイッターの影響力は改めて凄いと実感。


英国国営放送の人気お笑いクイズ番組であるステファン・フライのQI(quite interesting:英語版「すべらない話」) が日本のニュースで取り上げられた。広島と長崎の両方で被爆した山口彊(つとむ)氏の話が、「世界で一番不幸な人」として紹介された。この件に関して、日本大使館はBBCと番組製作会社に対して書面で抗議し、日本では、テレビ番組や新聞、ツイッターやブログで憤りと怒りが広がっている。

日本の外で原爆に対する恐怖や怒りを理解するのは難しいかもしれない。結局のところ、他の国は、どれだけ衝撃があったかを想像することしかできないが、日本の人々は、歴史の変遷の中で、実際に原爆を体験した。フィクションや映画ではない。まぎれもない真実である。この点において、BBCと番組制作会社は、20世紀の悲惨な体験の一つに明らかに配慮を欠いたことは明らかである。

その上で、今回の件は、意図的な悪意ではなく相互理解の不足によるものだろうと指摘したい。ケンブリッジ大学で2年間、幸福かつ刺激的なポスドクの日々を過ごし、ほぼ毎年、英国を訪問するものとして、私は、英国のユーモアのセンスを深く愛し、尊敬している。ステファン・フライが知的で愛すべき自由な男であることを知っている。QIショーに敬意を抱いているし、ブラックアダーのシリーズなどの他のステファン・フライの作品を高く評価している。母国日本で、今回のQIショーに関する件によって生じた怒りと悲しみはとても残念である。

英国のユーモアのセンスをもつことで、社会問題に直面したり、時には、断崖絶壁を歩むこともある。デビッド・ウォリアムスと数年前に東京で会ったとき、彼は、「常に”正解”を出し続けるのは非常に難しい」と言っていた。ウォリアムスは、マット・ルーカスと共にコメディー「リトルブリテン」を創作する際、楽しむための挑戦と、普通に暮らしている人々を傷つけず悲しませないことのバランスをとるのが難しかったと言っていた。

コメディ製作において果敢に挑戦することは、賞賛に値し、尊敬を受けるものだ。ステファン・フライは、勇敢で人々に刺激を与える男である。パイオニアであることは、時として代償を払うこともあるが、我々は、賞賛すべきであろう。今回の件で、日本と英国の間で深いコミュニケーションが始まるきかっけとなることを望んでいる。始まりが黒い風雲とともにあっても、響く笑い声で終わることを願っている。

私たちに必要なのは、爆弾ではなく、光である。
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2011年01月21日

議員活動と閉塞感

田村耕太郎氏の「国会議員の当選回数を制限せよ、
地元の冠婚葬祭の出入りは制限せよ」

http://diamond.jp/articles/-/10832

を読んで、選挙で当選した議員からなる議会とその社会について考えた。
現在の「仕組み」でいくら国会議員が動いても、「仕組み」そのものは変わらない。
根本的な仕組みの変化として「当選回数の制限」等が有効とは思えず、
今、求められているのは、「閉そく状態の不況からの脱出」という根本的な明確な変更であろう。

「閉塞感」が、気分が優れずどこか居心地の悪い状態であるとすれば、
その解消には、「今までの経過とは異なって」、まだ体験していない
これから先の未来に希望を抱くことこそが、重要なのではないだろうか。
今までの経過との違いを体感するのは、議員ではなく、私達自身でなければならない。


posted by Satoshi at 18:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

「謙遜」は、超高度!

映画「ソーシャルネットワーク」の一場面で、ナップスターの創設者ショーンが、フェースブック創設者のマック・ザッカーバーグとのランチを終え、別れ際に「"The facebook"より"facebook"の方がcoolだ」と言い残して去って行った。「the」と「cool」について改めて考えさせられた。

後日、ツイッターのタイムライン上から、社会企業家支援に関するソフィアバンクが「シンクタンク」であり、「シンクタンク」が"think tank"であることを知って、「シンクタンク」の概念が揺らいだ(ゲシュタルト崩壊)。

世界一のシンクタンクはTTT(The Think Tank)かと考えていたら、逆に日本における「The」は「名もなき」に相当するのではないかと思った。「我こそは、〜なり。」と誇張したいところを威張らずに「いやいや、私は名もなき者ですから」と言う。確かに、超実力者が謙遜するのはcoolだ。そして、実力のない者が、「我こそは、〜なり」と誇張するのも、見ている方を不安にさせる。

しかし、世界の潮流が変化している時代にあって、変動する世界に通じるためには「我こそは、〜なり」と宣言する勢いがなければ、世界の潮流に乗れないではないだろうか。とてもとても謙遜して、相手に道を譲っている余裕はない。

私は青春時代に間違った「謙遜」をしてしまった。そして、30歳を過ぎて「我こそは」と心の中で宣言した。そして、周囲から浮いて、自らの首を締めることに。。。でも、まだ生きている。動いて、そして働く。

「謙遜」は最高にcoolだが、自己保身の謙遜は、単なるチキンだ。「謙遜」は文化であってはならないと考えると、岡本太郎の本に「全力でぶつかっていくことこそが、謙虚だ」という言葉を思い出した。
posted by Satoshi at 14:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月16日

はじめの一歩(ソーシャルネットワークを観て)

「ソーシャルネットワーク」を観た。ニートを卒業して介護職に就きたいと感じている。

冒頭、主人公のマック・ザッカバーグが、彼女と口論するシーンで完全に映画に惹きつけられた。
台詞と字幕との違和感もしっかり確認。

要は、マック・ザッカバーグが「第2のビル・ゲイツ」ということ。
ビル・ゲイツがPC(個人用コンピュータ)の「窓」という扉を開き、
マック・ザッカバーグは、開かれた個人個人の窓と窓を上手に結びつて
ネットワークをつくった。
「窓」も「ネットワーク」も、突き詰めれば「電子の動き」だ。

強力な道具を作ることが目的ではない。私たちのために役立てることが目的だ。
強力なツールは、ダイナマイトのように危険だ。
しかし、私たちはネットワークを上手に使えると私は信じる。

後は、実行あるのみ。

ジャパンシンドロームの中、未来は「若い」力によって引き継がれる。
「若い」方にばかり意識が向いていたが
子供は社会を映す鏡であるように、鏡自体である「大人」を磨く必要がある。
人生の出口である「介護」に問題がありそうだし、
門戸も広そうなので、ニートを卒業して介護職にチャレンジしてみたい。
posted by Satoshi at 21:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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